障がい受容って必要? 「らせん階段のように」

育ちの現場から

支援者であり、当事者の母として

私は支援者であり当事者の母親でもあります。わが子の障がい受容を悶絶しつつ、子への告知と子ども自身の障がい受容も支えたいと思っていたので、いろいろと学びました。

「障がい受容しなければ」と思っていた頃

当時は(いや今もかな?)、親が子どもの障がいを受容することが、子どもの生育環境を整え健全に育つための「前提条件」として、語られていることが多いように思います。

だから私自身も「障がいを受容しなくてはいけない」と思って渦の中にいました。

発達障がいは、子どもの成長とともに、新しい発達の課題が目の前にやって来て、「もう大丈夫」と思うこともできないままに、次へ次へと歩んで行かなくてはいけないのが日常です。

親は焦りや戸惑い、時には落胆、そして浮かんでは消える希望、そんな思いに翻弄されます。


障がい受容の理論と、心の揺れ

親の障がい受容は、いろいろな理論が提唱されています。

その障がい受容理論の「土台」として扱われている代表的なものに、キューブラ・ロスさんの「死の受容段階説」があります。

精神科の女医さんで、死にゆく人々にインタビューをして、死に至るまでの心理過程(否認→怒り→取引→抑うつ→受容の5段階)を研究した人です。

でも、死の受容段階と障がいの受容段階は、同様ではないと言われているところもあります。

例えば、心理過程が「一定方向に進むとは限らない」とか、「らせん状に繰り返す」などの見解で、最終段階も「受容」とせず「適応」とし、その後「再起」という過程を加えたものなどが、他にあります。

「受容」よりも大切だと感じたこと

 当事者の親の私が、発達障がいの受容のいろいろを学んで、自分の助けになったことはここ↓でした。

受容に至ることが大切なのではなく、それぞれの心理過程は「正常(自然)な心の揺れ」であることを『知る』こと。否認したい時は否認していいし、怒りが出たら出していい。それは正常(自然)な心理過程なのだから、自分を責める必要もない。

つまり、心の揺れは自然な心理過程である、ということ。

感覚の違いから見えてくる対話

私はこれまで、子どもの感じている世界・見えている世界を理解したくて、発達について身体感覚を通して学ぶということをしてきました。

今では講師として親御さんや支援者さんと共鳴しながら学んでいます。

発達支援コーチ初級講座↗️

発達に課題があるないに関わらず、受講生さんの間だけでも、感覚の世界は人それぞれであることを体現する場面にたくさん遭遇します。

私たちは感覚を通して、この世界を理解しています。それを主観と言います。身体感覚を通して学ぶことで、主観と主観の「間」に気づきます。すると、「問い」が生まれます。

「あなたはどう感じていたの?」

「どう見えているの?」

「あなたはどうしたい?」

「どうなりたい?」

自分と相手の感覚の違いを前提とした、互いの世界観を尊重する、相手との真の対話が生まれます。

この関係性はもちろん、子どもが安心して育つことを支える場になるに違いありません。しかし、ここで強調したいのは、これは「障がい受容」とは本質的に別のものだということです。

ここを混同している見解が多いように思います。この関係性は、「障がい受容を前提条件として必要としない」ところが、大きく異なります。


保育者・支援者に気づいてほしいこと

発達支援コーチの講座では、保育者・支援者さんに、これまで意識したこともなかったような「違和感」に出会っていただくことを大切にしています。

原始反射と発達↗️

保育施設等では、保護者対応なども社会的役割として求められるようになってきました。

子どもの発達課題の「気づき」の段階での関わり方も、とても大切で、かつ、とても難しいと思います。

支援者は時に、親の否認や怒りの矛先を向けられることもあるかもしれません。

保護者対応の難しさなどを示唆する論文が多く発表されている理由も、この辺りの理解と対応の難しさがあると思います。

しかし、なぜそのようなことが起こるのか、心理過程を理解していれば、保育者や支援者が、過剰に反応して、対応を間違うことを防ぐことができるかもしれません。

まずは「親は障がいを受容するもの」という固定概念を一旦外すといいのかもしれません。


 

私にとっての障がい受容

私にとっての障がい受容は、自分自身の中にある偏見との向き合いでした。

本来の自分との向き合いは辛いことも逃げたいことも多くあるのが現実でしょう。

一つひとつ正直に自分と向き合い、堂々巡りの様でいても、らせん階段のように一歩一歩進んでいると思いたいです。

子どもに「素のままでいい」と思えたとき、親も「なんだ私も素のままでいいじゃん」と思える。(これも、障がい受容とは本質的に違うものだからね〜)。

親である私の力みがとれると、自ずと子どもとの関係性も変わる。課題だろうが問題だろうが、すべては経験。面白がって生きていこうってなりました。

まとめ

私は支援者であり、当事者の母です

親の心の揺れは自然な心理過程です

私たちはそれぞれ異なる感覚で世界を見ています

真の対話は、感覚の違いを尊重することから始まります

子どもの育ちを支える関係性は、障がい受容を前提としません

支援者は固定観念を一度外してみる

障がい受容とは、自分の中の偏見と向き合うことでもあります

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